2009年5月7日木曜日

ブリスベンの旅




5月4日 ブリスベンに行くことになりました。
30年もオーストラリアに住みながら 私はシドニー以外のどこにもほとんど旅していません。
もともと末っ子で依頼心が強く、一人旅が苦手でした。 それで早々とシングルになってしまった私は旅のチャンスをうしなったのです。
朝10時半タクシーを呼んで空港へ。
最近には珍しく親切な運転手さん。 
「このごろは親切な運転手さんが少なくなったわ」と私は運転手さんに話し始めました。
金融危機以降商売はどう?と聞くと少し落ちたけどたいしたことはないよ、との返事。
それからそもそもアメリカが悪いと独断場の演説が始まりました。
知ってること知ってること。
ブッシュの時代のアメリカの議席、ハワードの時代のオーストラリアの議席、ブレヤーの時代の英国の議席等など。
「あなたはどこの国からきたの」 どこから見ても白人ではない容貌。
「レバノンだよ」
「何年になるの」
「37年さ」
「ウワーあなた私をビートしたわ。私30年」.
「そうか自分のほうが7年長いな」
「レバノンってどんな国?」
「美しくてすばらしい国だよ」 この答え、意外でした。
レバノンって中近東で荒地のようで政治も安定していないと思っていたのです。
「私は馬鹿だったの30年も住んでて日本ばっかり見つめていたから オーストラリアのことあまり知らない」.
「それは馬鹿じゃないよ」と運転手君。
「日本はあなたの第一番目の国だからね、愛するのが当然だ。自分の母国を愛することのできないやつにはほかの国を愛することなんかできないよ」
このような見解を私は「国家の品格」で読んだばかり。
政治のことよく知ってるのね。
「それは見たり、聞いたり。僕は学校には一年しか行ってないけどね」
どういう意味かしら。。一年しか学校いっていないなんて。。。と思っていたら、
「8歳のとき一年行って9歳から働いたんだ」
「ええ、。本当? 」
義務教育ではなかったのと聞こうと思いましたがやめました。 義務教育で在ろうとなかろうと彼は9歳から働かねばならなかったのです。
「9歳で何ができたの?」
「洋服屋の小僧さ」
目頭が熱くなりました。 9歳からずっと働いてきたライフ。
「19歳でこの国に来た」
「ずっとタクシーの運転してるの?」
「いや はじめは英語をまったく知らなかったから三ヶ月は仕事はなかった。.
それから鉄工所の労働者として働いた」
「学校行かないでどうやって英語勉強したの?英語読めるの?」
「知らない言葉があるとメモ帳に書いて意味を聞いてそれを毎日使って また新しい言葉を手帳に書いて。 毎日毎日覚えたよ」
私は心底自分を恥じました。
自分の英語が上達しないのは センスがない、音楽性がないなどいいわけばかり思いついて。30年間 本当に習得してこなかったのです。
「私今からがんばるわ」
「そうさそうさ。 今からいくらでもがんばれる」
車は空港に着きました。
「今日あなたと会えて最高の教訓を得たわ。ありがとう」
私は運転手君と握手をして車を降りました。
在豪30年で ちっとも英語が上達しなかったと嘆くより 今日からたった一つでも新しい言葉を覚えよう。
頑張るーーの決意で機上の人となりブリスベンへ向かいました。
ブリスベンの空港に着くと手配していたタクシーの運転手さんが待っていました。
シドニーの空港から一緒に乗った長男聡平の家族は子供が三人なので大変な荷物でした。タクシーの運転手さんはこまつきスーツケースを2個がらがらところがしながら車まで向かいました。 聡平は乳母車と大きな思い荷物を三個も身体中にかついで歩き始めました。
ちょっとあれは不公平じゃない。おじさんにひとつくらい持ってもらったら。こまつきなら私でも運べるのに。。と私はあれこれぶつぶつ言ったのですが、誰も気にかけてくれません。
そうね あれが聡平の性格だからね、と私も肩がつぶれそうな聡平の後姿を見ながらいいました。
思い起こせば ずっと昔子供たちが小さいころ、旅先の駅で赤坊さんを雇った元の夫、中川は思い荷物を6個身体の小さな赤坊さんに持たせて本人は何も持ちません。 一つ持ってあげたら。。?という私の声はむなしく駅の人ごみに消えるばかり。 それは私がどうしてもついていけない中川の人となりのひとつでした。
大きな荷物をしょってつぶれそうな息子の後姿を見て 私はこれを喜ぶべきなのだなと思うのでした。
5月5日
今回私が子守をおおせつかったという会議はオーストラリア外科医の会議で一年に一度開かれます。 長男は2005年にスペシャリストの試験に合格して外科医となったのですが、いろんな事情でなかなか出席できず 今回やっと免許の授与式に参列したのです。 そのセレモニーは夫婦同伴で三人の子供の子守を頼まれたわけです。
ここでこの国の医療制度を少し説明しましょう。
大学の医学科を卒業すると卒業生はみんなどこかの病院のインターンになります。 一年のインターンを終えGPになるか専門医になるかを選択します。 (日本のように大学在学中に進路を決めてしまいません) 専門医を志すことになるとそれぞれの分野のPrimary Examを受けます。
それに 通ると病院で働きながらでトレ-ニングプログラム訓練が始まります。 最低四年間の訓練を受けます。 そして最後に資格を取る試験を受けるのですが、それが二つの筆記試験と手術、病理などの口頭試験のほかに二つの臨床試験を受けて合否が確定します。
この専門医とは具体的にどういうものかというとすべての病人はみんなまずGPで診察を受け、それぞれの専門に紹介されます。患者が紹介状を持って診察を受けるのが専門医なのです。
聰平は一般外科医です。小さいときから漫画ブラックジャックにあこがれて外科医を夢見てきましたがその夢が実現したのです。
そしてすでにもうすでに四年も経過しているのですが晴れて今日、その授与式に参列したわけです。
怠け者の聡平がこの厳しい道を頑張りぬいたのはなんといっても妻リアンちゃんの強いサポートがあってのことでしょう。 感謝です。
いやあ、それにしても5歳を頭に3歳、11ヶ月の孫のお守りは大変でした!!!!
 
 

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